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会長挨拶

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  全国国民健康保険診療施設協議会
  会長 小野  剛
  (秋田県:市立大森病院長)

 能登半島地震が発生して3ヶ月が経過しました。この地震で尊い命を失った方々のご冥福をお祈りするとともに被災された皆さまには心からお見舞い申し上げます。能登半島の国保診療施設における医療機能の早期復旧と能登半島の復興を願っています。
 全国国民健康保険診療施設協議会(国診協)の会員施設の多くはへき地・離島・中山間地域など高齢化と人口減少が先行して進む地域に立地しています。多くの施設ではコロナ禍も相俟って外来・入院患者数が減少し、看護師はじめ専門職種の確保が困難になるなど多様な課題を抱え厳しい施設運営を強いられ、今後持続可能な施設運営を行うための方策をどのように立てていくか悩ましい状況に直面しています。国診協では今後の国保直診の運営計画に寄与すべく、概ね10年後の「国保直診のありたい姿」を検討し取り纏めを行い、3月に公表し4月中に会員施設にお届けする予定です。多くの会員施設において近未来の施設運営の参考にしていただければ幸いです。
 さて厚生労働省では昨年「ポスト2025年の医療・介護提供体制の姿の3つの柱」を提示しました。この内容はこれまで国診協会員施設が取り組んできた「治し、支え、寄り添う医療の実践」「多職種連携による地域包括ケアシステムの構築」等と同じ方向性であり、地域包括医療・ケアのフロントランナーである我々国保直診は今後も地域包括ケアシステムの中でハブ機能を十分に発揮し、水平連携を推進することで地域住民の安心の拠点として活躍していきたいと思っています。
 令和6年度は制度改革の節目に当たる年であり、医師の働き方改革や第8次医療計画、診療報酬、介護報酬の改定などの制度改定がスタートします。種々の制度の変化に対し適切に対応することが求められる年になります。また、今後はICTやAIなど医療Dxが推進され新たな地域医療戦略を検討する時代が到来します。国診協としては会員の皆さまとの絆を大切にし、時代や制度の変化に乗り遅れないよう有用な情報共有に務めるとともに次世代を見据えた運営を行いながら皆さまと共に前に進んで行きたいと考えています。
 今年度も皆さまのご理解とご支援を何卒よろしくお願いいたします。

令和6年4月1日

会長挨拶バックナンバー

令和5年度以前
  •   全国国民健康保険診療施設協議会
      会長 小野  剛
      (秋田県:市立大森病院長)

     新型コロナウイルス感染の第2波が懸念される中で地域住民の健康の保持増進に懸命のご尽力をされている国診協会員施設の職員の皆様に深く敬意を表する次第です。また、先日の熊本豪雨災害に被災された皆さまには心からお見舞い申し上げます。
     この度、押淵徹前会長の後任として国診協会長に就任いたしました。国診協は今年開設60周年を迎えます。この歴史ある国診協の会長をさせていただくことは大変名誉であるとともにその重責に身が引き締まる思いです。今後は会員の皆様の声をお聞きし会員目線で国診協の運営を行っていきたいと考えておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
     就任にあたり今後の国診協運営のキーワードを「つなぐ」と考えました。一つは会員施設の皆様と双方向性に「繋がる」ことです。国診協会員施設も徐々に減少し来年度から会費増額をせざるを得ない状況になり過日書面で行われた総会でご了解をいただきました。皆様のご負担を増やすことは大変心苦しいことではありますがご理解をいただいたことに感謝申し上げます。また、その際、「会員施設の増強と事業及び業務の見直しをすべき」とのご意見もいただきました。今後は会員施設増加の努力をするとともに会運営内容を精査して事業及び業務の改善をしつつ、会員の皆様の声を十分にお聴きしながらこれまで以上に有用な情報を提供することで双方向性に「繋がる」ことを実行して行きたいと考えています。もう一つは、厚労省や全国自治体病院協議会など病院団体との「繋がり」です。この「繋がり」によりいろいろな情報を入手するとともに国診協会員のメリットになるような要望や提言を行っていきたいと考えています。最後は、次の世代に「繋ぐ」ことです。国保直診が今後も地域住民の健康の保持増進を担っていくためには、次の世代を担う若手医師はじめ若手スタッフに活き活きと活躍して頂くことが必要です。国診協70周年に向けて若い世代の活躍の場を作るとともに、次世代へ「繋ぐ」土台を作っていきたいと考えます。
     予期せぬ感染症や自然災害が発生するなど厳しい世の中ではありますが、全国の会員の皆さまが「明るく、元気に、前向きに」活動できるように国診協の運営を行って参ります。皆様のご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

    令和2年7月6日